2012年7月から女川に転勤になった磯部さん。家族と離れて単身赴任の日々だ。「女川に対するイメージは無かったですね。最初は、仕事としてやってきた町に数年住めればいいや、っていう感じでした」と話す。そんな中、もともとボランティア活動に興味があった磯部さんは、地元のバーのマスターと意気投合し、町のイベントに関わるように。2013年秋の秋刀魚収獲祭と2014年春の女川町復幸祭に、秋刀魚を焼く運営ボランティアとして参加した。「それまでは、興味が無いというより、関わるきっかけが無かったですね。被災した町で、何をしていいかわからなかったんです。」

戸惑いを解消するきっかけは、すぐに訪れた。2014年の復幸祭から数ヶ月経ったある日、町内で飲んでいた時だった。たまたま実行委員会のメンバーと遭遇し、ボランティアについての意見交換をした。ボランティアは女川へ来て仕事をして、終わったら帰る。イベントを楽しむ余裕も無く、延々と秋刀魚を焼いている。ボランティアを自ら体験して、初めてわかったことだった。これではいけない、楽しんでもらわないと、と実行委員会に訴えた。「じゃあ、実行委員会一緒にやってください、って。売り言葉に買い言葉。殆ど知らない人たちばかりの中、気づいたら事務局に入れられてましたよ」と笑う磯部さん。

決まったからには、まずはやってみよう、と復幸祭の運営ボランティアのおもてなしと参加者が楽しめる企画を提案。これまでの感謝の気持ちを込めて、前日に町民との交流会を開催。そして専用のブースを設け、ボランティアの方々に休憩してもらったり、美味しい女川名物を食べてもらえるよう手配した。また、公開結婚式をやろう、と言い出したのも磯部さんだった。ウェディング系雑誌の元社員だった実行委員の力を借り、企画し実行した。どちらの提案も成功。大好評だった。その時に、感極まり涙をこぼした磯部さんの姿はドキュメンタリー映画「サンマとカタール〜女川つながる人々」にがっちり捉えられている。

夢を叶える町、女川。

特定の誰かだけではなく、若い人全部にスポットを当てて欲しい、と磯部さんは訴える。「毎年コンセプトや会場を変えながら、復幸祭は進化している。町の人たちが自分たちで考えていることをどんどん出して、形にしていけばいいと思う。それを、外から来た人間としてサポートしたい。」参加している店舗も、変化を受け入れ対応している。これまで復幸祭の運営ボランティアで来ていた人たちに、2016年は観光客として来て欲しいと話す。町の人ががんばっている姿を見て欲しいそうだ。

通常のステージに加え、今年は地元で活動している若手のために、音楽や演劇の発表の場も設けられている。さらには、女川の特産品をフィーチャーする新しい食のイベントも企画。どちらもこれまでとは違う角度からのPRになればと、話す。変化していく女川を楽しみしている人に、見せたい。若い人たちがやりたいことを形にすることを手伝うのが自分の役割だ、と話す。今年の復幸祭のコンセプトは「夢を叶える町がある」。やりたいことが叶う町であることを表現したい。それを、若い人たち、そしてさらに下の世代に伝えていきたいという強い気持ちを、磯部さんは持っている。

一つだけ気になっていることがある。「外からの来訪者も大歓迎なんですが、浜に住む町の人や少し離れた石巻に住んでいる女川出身の人も、まちなかに来たくなるイベントにしたい。足を向けてもらうには、何かを考えなきゃいけないと思ってるんです」。女川町の他のイベントでも、なかなか実現していない点だ。今後の課題として取り上げ、解決策やアイディアが活発な意見交換の後に生まれることを期待したい。

仕事のことも町のことも、フルタイム。

会社員としてのフルタイムの仕事を終えた後、実行委員としての活動が始まる。夜のうちに情報を整理し、出社前に連絡事項を送る。これはみんな同じ立場なので、とあっさりと言い切った磯部さん。仕事と同様に、一人ひとりが順序立てて整理し、タスクを片付けていく。実行委員長一人が決めるのではなく、委員会のメンバー全員で決めるという意識を共有しているそうだ。

復幸祭の準備は、秋からスタートし、二週間に一回ペースで実行委員会を開催。2月に入ってからは、毎週一回のペースで集まった。それとは別に、個別に部会を開催し、リーダーを中心に決めたことを、実行委員会で話し合う。この繰り返しだ。復幸祭間近になると、調整段階に入る。まさに今の状態だ。

実行委員を経験して、女川の凄さに気づいたという磯部さん。「とにかく柔軟なんですよね。次から次へと、アイディアと意見が出てくる。一人ひとりが、自分の言葉で、自分の意見をちゃんと言える。年齢も性別も関係なく、意見交換をしながら、お互いを尊敬しながら物事を進めるところはすごいと感じます」これは女川の宝、だと話す。柔軟と言えば、町内で再会したときに、ふいと大事な話が始まることもあるという。「大事なことは飲み屋で決まる、ってホントで。約束しなくても誰かしらと会って、その場で話を進めてしまうんですよ。」形にとらわれない、女川らしいコミュニケーションスタイルだ。

女川町復幸祭2016の目玉コンテンツ。

2015年の復幸祭は、人気アイドルグループのコンサートがあった効果もあり、お弁当や土産物も飛ぶように売れ、飲食が早々に無くなるほどの大盛況だった。三万人ほどが、女川に押し寄せた。今年の女川町復幸祭2016も、宿泊施設は早い段階で全て満室に。食イベントでは、例年通り、炭火焼きサンマ2000尾の無料配布に加え、女川の食材を使った今までにない新メニューをお披露目する【ONAGA-1FESTA(おながわんフェスタ)】を開催。仙台と石巻、そして女川町内から8店舗が出店。午前と午後の二回に分けて、ワンコインで販売する計画だ。磯部さんは、常に先のことまで見ている。「これを一度限りで終わらせないで、町の若手の団体が引き継ぐ。そして、毎年恒例の独立したイベントにするのはどうかな。」今年は、企画を面白がって参加をしてくれる店舗に声をかけた形だが、来年は厳選したいと話す。たとえば、各地で開催されているご当地グルメイベントのような参加型にしてはどうかと提案する。

今年は、ファミリーやキッズが喜ぶ企画も。「シーパルピアが完成したことで、できることが増えましたね」と話す磯部さん。観光協会と地元企業主催のスタンプラリーは各店舗が協力。「【体験コーナー】では、子どもでも参加できる体験を7つの店舗で開催します。タイル作りや工房見学など、親子連れも楽しめる内容になっています」。また、駅前エリアにはキッズコーナーも登場。目玉のペンギンの大行進に加え、地元高校生による出店や、地元サッカーチームのサッカー教室なども予定されている。女川名物になりつつあるスラックライン体験や、休憩スペースもあり、にぎわい溢れるエリアになりそうだ

*ONAGAWA DAYS もほっこりするCAFÉ を出店!ぜひ遊びに来てください。

津波が来たら高台へ逃げる。このことを後世へ伝え続けるために2013年から始めた「津波伝承 女川復幸男」。今年2016 年は、去年とはまた違うコースをランナーが走る。「逃げろー!」の合図と共に高いところまで駆け上がる。距離は前回よりも短いぶん勾配がキツイ、と磯部さんは話す。また、今年は復幸祭と同日開催。一日で女川をたっぷりと楽しんでもらう日となりそうだ。

家族にも体験させたい、女川。

家族に感謝ですよ、と磯部さんは言う。仕事以外の時間の多くを、女川での活動に注ぎ込んでいるといっても過言ではない。家族の理解無くしては、成り立たない。そんな磯部さんの息子さんは、大学一年生。2016年3月の初めに、女川へのお試し移住を一週間経験した。「いろんな人に紹介しましたね。町長とお話したり、フューチャーセンターで誰かと知りあったり、実行委員会に顔を出したり。」ここまでは親心、でもここからは、本人次第だと言う。去年も、息子さんは春休みを利用して、ボランティアとして復幸祭に参加。女川と関わる父親の磯部さんの姿を見ていて、自ら行ってみたいと言い出したのだそうだ。お試し移住体験をしたことで、これで本人も女川に来やすくなったでしょう、と話す。ちゃっかりマグロ丼もごちそうになったみたいだし、と嬉しそうに話す顔は、優しい父親の顔そのもの。

気づけば周りをどんどん巻き込んでいく磯部さん。新たな鹿肉ジビエプロジェクトや、女川の若い女性が開発するスイーツプロジェクトなど、ワクワクするキーワードを次々に発信していく。仲間を募り、育て、渡していく。これが、磯部マジック。これからも新しく生まれ変わる女川の真ん中で、その魔法を発揮しつづけるに違いない。

女川こぼればなし

磯部さんが女川出身ではないことを知ったのは、出会ってからしばらく経ったあとだった。なるほど、この人だからこそ受け入れられたのだな、と思う聡明さ、優しさと行動力。つい、仲間に入れて!と手を上げてしまいたくなるのも、もちろん磯部マジック。