黒とグレーを基調としたモダンな建物の中に、明るく開放的な空間が広がっている。
窓も大きく、天井も高い。外からの光が、まっすぐ中に降り注ぐ。
大きな一枚板のカウンターが印象的な空間だ。
物販コーナーも広々として、選びやすい。ゆったり時間を取れる分、あれもこれもと手が伸びそうだ。
カフェ兼セミナールームには、木製の大きなテーブルと座りやすい椅子が置かれ、あたたかみのある空間を作り出している。
ここで、年間を通じてワインに関する様々なイベントを開催予定。
現在は、週末のみワインを試飲しながら、パニーニやベーコンなどの軽食を楽しむことができる。
沿岸部と繋がる内陸のワイナリー。
温泉郷として有名な秋保は、人気の観光スポット。
この秋保を交流人口で盛り上げていこう、というのが毛利さんの計画だ。
「アウトドアメーカーと組んで、スポーツとグルメの町にしよう、と思っています」キラキラと毛利さんの目が輝く。
地元企業と連携し、マウンテンバイクのレースやトレイルランなどのアウトドアイベントを企画中だ。自転車レースをしながら地域のグルメを楽しむ、アメリカ・ポートランドなど世界中で開催されている人気のコンテンツなのだそう。
「ワイナリーの横を、世界中から集ったバイカーたちが走り抜けていく。いい光景だと思いませんか?」毛利さんが、ここ5年ほど思い描いているビジョンだ。
フランスのメドックマラソンのような地域のグルメを楽しむマラソンイベントの開催も考えている。
なぜ秋保を選んだのか。
秋保には、宿泊施設が潤沢にある。ここを起点として、まだ宿泊施設が少ない女川などの沿岸部に食材を調達に行くツアーはどうかと考えている。
「町の観光や養殖所の見学をして食材を調達した後、夕方秋保に戻りワイナリーで試飲して、夜は旅館で調達した食材を料理してもらう、といったようなプランを考えています」と毛利さん。
女川との繋がりは、震災前の女川の温泉施設「ゆぽっぽ」に遡る。
当時は本社が東京にある大手建築設計事務所に勤め、設計を担当していた毛利さん。沿岸部の中で一番通った町が、女川だった。
ゆぽっぽの内装は実にユニークだったそうだ。休憩エリアには、本物の列車の椅子を使ったり、吊り棚を壁に付けたりした。
「女川町役場の担当者の方と密にやり取りしながら作り上げた、思い出深い仕事のひとつです」懐かしそうに、そう毛利さんはつぶやいた。
目指すは産業創出、交流人口の拡大、にぎわい創出。
震災後は、関わりの深い地域のために何かしなければいけないと立ち上がった。
救援物資を届けたり、若手で復興提案を考えようという会にも積極的に参加した。
ハード面は、行政が主導で整備していく。
ならば自分たちは産業創出、交流人口の拡大、にぎわい創出、まずは出来るところから関わっていこうと決意。
いろいろな復興会議にも参加する中、ゼネコン、コンサルタント、漁師、研究者、行政や広告代理店のなどの新しい縁も生まれた。
そんな時、被災自治体から復興計画を作るので何かアイディアが無いかという話があった。有志が集まり、ボランティアで複数の復興提案を作成。その一つが「地元宮城のワインで宮城の特産品を応援する」ワイナリーの設立だったのだ。
早速提案書を作り、ワイナリーの設立に加え、沿岸部での自転車レース、マラソン大会、震災で残った建物を防災教育やアウトドアスクールにリノベーションするという提案も行った。
しかし、震災の被害が甚大であったため、被災自治体にとって優先すべき緊急の課題は山積み。どの提案も復興計画に上がることは無かった。
そんな時、ある会議で牡蠣を育てても売れないと嘆く牡蠣漁師たちと出会う。生産を再開したが、風評被害で販路が回復しないのだ。
そこで、毛利さんは言った。「ワインが出来たら全国に旬の牡蠣をワインとセットで送ろう。牡蠣の養殖棚の下でワインを熟成させ、一年後に引き上げて牡蠣祭りをやろう」。
漁師さんたちと盛り上がった。帰り際に、こんなことを言われた。
「震災後なんもいいことなかったけど、今日の話を聞いてワクワクしたよ。毛利さん頑張ってよ。俺たちも頑張るから」。
この言葉は、今でも毛利さんを励まし続けている。
行政は行政のやるべき課題に必死な中、民間で応援出来るところは民間で応援しよう、と自身でワイナリーの立上げを決意した毛利さん。
当初は沿岸部でぶどうの試験栽培を始めたが、農業の経験も無く、勤めながらの活動では数週間畑に行けないこともあった。ぶどうの生育も思わしくなく、農地の確保や資金の調達も進まない中、現地での活動を断念せざるを得なかった。
それでも、ワインの力で宮城の食を応援できるという確信は揺らがなかった。
ゼロからワイナリーの設立を再考、最終的にたどりついたのが、秋保だったのだ。
沿岸部で植えようと注文していた苗があった。
「今ならキャンセルできる、とワインコンサルにも言われました。でも、意地でも植えてやろうと思った」と毛利さん。
土地を探している時に、友人から温泉街の中心部に広い土地がある、と紹介された。
すぐに見に行くと、建物とぶどう畑のイメージがすぐに浮かんだ。ここだ、と直感的に感じた。
2015年12月に念願のオープンを迎えた。
山と海を、地域と地域を繋ぐワイン。
来年には2ヘクタールまで拡張する予定の秋保ワイナリー。三つの大きな目標を掲げている。
「宮城の特産品を応援すること、担い手の育成をすること、秋保の振興を図ること、です。少しずつですが、スタートさせています」といきいきと話す毛利さん。
秋保ワイナリーでは、通常では廃棄物になるものを積極的に有効利用している。
ワインやシードルを作るためのぶどうとりんごを潰した後の酒袋を再利用してバッグやエプロンにリメイクしたり、ワインを熟成するときの上澄み液に肉を漬け込んで、秋保ワイナリー特製のワインベーコンを作っている。
外部とも積極的に連携し、ワイン発酵直後の元気な酵母をパン屋さんに提供したり、女川町「南三陸石けん工房」のワイン石けん用に澱を提供したりしている。
「ぶどうとりんごの搾りカスを餌にした“ワイン豚”なるブランド豚を作る計画や、雄勝石をソムリエナイフの柄の部分に入れられないかなと。色々な生産者とコラボしていきたいんです。あまり好きな言葉ではないんですが、お互いウィン・ウィンな関係になれば、と」そう毛利さんは話す。
南三陸町との取り組みも進んでいる。牡蠣と林業のブランド化と、町のプロモーションに活かしてもらおうと、秋保ワイナリーのシードルと南三陸の牡蠣を繋げたいと毛利さんは考えている。
「贈答用の木箱には、森の間伐材を利用します。そして、南三陸町の伝統文化であるキリコの装飾を施そうかと」オリジナリティ溢れる商品が生まれそうだ。
担い手育成の面では、ワインづくりに興味のある人材の育成や受け入れを積極的に行い、県内でぶどう作りの後押しをしていきたいと考えている。
ワインづくりに手を上げた女川の宿泊施設との連携も開始。ぶどうの苗をプレゼントすることになった。
「女川のような急斜面でも、ワイン造りは可能です。植えることは、小さいけれど大きな一歩です」と目を輝かす。
また、ワインづくりを勉強したいという障害者施設のスタッフの受け入れや、シードルを作りたいというイチゴ農園と連携しながらのスタッフ研修なども積極的に行っている。
川の風吹く、見学できる醸造所。
ワインの製造現場を直接見てもらいたい、という毛利さんの想いから、それぞれの行程が行われる部屋はすべてガラス張り。
貯蔵庫や干したぶどう、一本一本手作業で動かす瓶詰めの機械や、一枚ずつ手で張っているというラベルがすべて見えることで、ワインづくりの世界が一気に身近に感じられる。
見学の終わりに、使い終わった酒袋を毛利さんが見せてくれた。厚みのある生地の黄色み、シワ、ひとつひとつに表情がある。
それを面白く利用することで、秋保ワイナリーならではの商品をつくりたいです、と意気込む。
秋保の渓谷には、東西にだけぶどうの栽培に最適な風が吹く。湿度や高温を飛ばしてくれる川の風から取ったブランド名は「リバーウィンズ」。
商品ラインアップは、今後も増えていきそうだ。
これも仕事だよねといいながら、一人だけ試飲。カメラマンとハンドルキーパーにごめんなさいをして、取材班を代表して飲ませていただくことに。
飲まないと書けないから、なんて毛利さんと笑いながら(詳しくは:GO, SEE & DO でどうぞ)。
開発中の自家製スモークサーモンも試食。こちらの商品化も楽しみだ。
そして、ワインベーコンを買うことにした。女川の森で炙って食べるのだ。脂がじゅっと滴り落ちる。拡がる香りを妄想し、さらに幸せになる(実食の模様は、ISSUE04 GO, SEE & DO参照)。
秋保ワイナリーのこれから。
隣町には大きなウィスキーの蒸溜所がある。ワイン樽でウィスキーを仕込んだのがラム酒になるように、ウィスキーを仕込んだ樽にワインを入れるのが毛利さんの夢。
「秋保を訪れる観光人口は多い。この状況を上手に活かして、繋げられれば」と話す。
決して独りよがりなやり方はしない毛利さんの手で、きっと新しい形のワインが秋保ワイナリーから誕生する。
これからも言葉にすることで次々と夢を実現していく、そんな気がした。
2016年の春には、シードルをリリース。様々なイベントを企画中だ。
牡蠣の漁師さんを招き、芝生の庭園で牡蠣を焼く。
そして、パラソルの下にテーブルを置いて、ワインとシードルを飲む。
夏には、新鮮な魚介でパエリアを。
目を閉じると、爽やかな秋保の風が吹くのを感じた。
女川こぼればなし。 夏に開催されるフラメンコイベントのために、オリジナルワインを作ろうと画策中。
そして、ボトルの首にはスペインタイルのタグ。
秋保ワイナリーx女川の最強タッグプロジェクトのワクワクが、止まらない。
2016.03.10 Text : YUKA ANNEN Photo : MASATO GOTO