みんなの心のリーダー、ビッグスター。イカツイのは、見た目だけ。中身は、ピュアな少年。

身体も大きく、一瞬いかつく見える。でも笑うと、一気に顔が崩れ、相手がなあんだとホッとする。自称、精神年齢は中学生。もっと大人になってください大星さんとよく言われるんですよね、と笑う。岡山出身の大星さん。言葉の端々から聞こえる方言に、和む。

今年の3月の復幸祭には、自身が運転する車で仲間と女川へ向かう。今年は完全なプライベートモードで女川を楽しむために前日に入り、女川を満喫する計画だそうだ。「完成したプロムナードを見て、あの飲み屋で飲んで、あっちで飲んで、またあそこに戻って飲んで、、、」とワクワクしながら笑顔で話す。駅前から宿泊先までは、徒歩でも帰れることも確認済み。でも最後の片付けはやりますよ!とキッパリ宣言する。できるときにできることはやっていくことこそ当たり前だ、という信条を持つ大星さんらしい発言だ。

女川の町の人びとと気軽に話すようになったのは、ほんのこの一年のことだという。それまでは、2012年の第一回目の復幸祭以来、ボランティアとして参加した多くのメンバー同様、会場と宿泊先を行き来し、町中を散策することもなく帰路につくという、この繰り返しになってしまった。女川に来ているのに、女川をじっくりと楽しんだことがなかったのだ。

ならば、と大星さんは「大人の遠足」を仲間たちと企画。去年の10月に、初めてプライベートで女川を訪れた。これまで数々のイベントでお弁当として食べてきた海鮮丼や中華料理。それぞれがメニューに載っている店舗にも、初めて足を運ぶことができた。新しくできた駅舎にも入ることができた。「駅から海に向かうプロムナードを見て、純粋にいいなぁ、と。」2011年に通い始めてから、初めてゆっくりと女川と向き合えた時間だった。

震災後感じていたモヤモヤは、消えた。伝える。続ける。忘れない。これからも。

女川との繋がりの始まりは、2011年12月。「女川クリスマス運動会」に参加。当時日本代表だったサッカー選手やプロ選手と体育館でサッカーなどをして楽しむイベントだった。大星さんはサンタクロースの格好をして、地元のお母さんたちが作った炊き出しを配ったり、裏方に徹したという。

その後は、翌年の第一回目の復幸祭に参加し、秋の秋刀魚収獲祭にも女川へ。駐車場の誘導もした。駐車場を出て行く車に向かってありがとうございました、とおじきをする。笑顔で。すると殆どの人が、手を振ってくれたという。笑顔は伝染するんやな、と気づいたそうだ。だからこその、ついついこちらが油断してしまう、大星スマイルなのかもしれない。

被災地に行っている回数ならオレより多い人はなんぼでもいる、と断った上で大星さんが話したのは、ボランティア活動への自身のスタンス。体育会系出身ということもあり、身体を張った仕事は苦にならず、そこが活躍どころでもあると思っている。祭りやイベントなどのお手伝いを「ボランティア」と捉えていないと言う。自分も楽しんでいることを奉仕活動とは呼べない、と言い切る。

大星さんがボランティア活動に参加するようになったきっかけは、東日本大震災。震災直後に金銭的な支援はしたものの、心の中はずっとモヤモヤしたままだった。この気持を晴らすためには行くしか無い。そう思い立ち調べると、被災地へのバスが出ていることを知り、参加を決めた。神奈川県を拠点に活動しているボランティアネットワークのバスツアー。ボランティアを載せた一台のバスが、被災地へ向かった。2011年8月、陸前高田市と大槌町に震災後初めて入った時だった。

活動を終え、帰路についたボランティアバスでの振り返りのとき、忘れられない瞬間が訪れた。「伝える、続ける、忘れない。この三つの気持を持って、これからも関わっていく。そう話した女性がいました。この一言が、刺さりました。ずっと抱えてきたモヤモヤが、ふっとんだんです」その後も大槌町へは引き続き足を運び、つい先日もボランティアや町に関わった人たちの感謝祭イベントへ行ってきたばかりだ。福島県出身のボランティア団体のメンバーが独立し、神奈川県から福島を支援することを決めた。こちらの活動にも、年に二度ほど参加している。

自ら見聞きした経験を、地元へ還元したい。
有事の時に、学びを活かせるように。

震災後のボランティア体験がきっかけで、地元の地域活動に参加するようになった大星さん。「一人は微力だけど、無力じゃない。ボランティアとは関係なく、俺はそう信じて、ずっと生きてきたんですよね」そう力強く話す。ボランティア活動を通して学んだことを、地元に還元したいと思うようになった。自ら手を挙げ、町内会に入り親交を深め、せっかくだからリーダーシップを取りたいと願い、地域防災拠点の運営委員会で副委員長をつとめるまでになった。体験談をレジュメにまとめて、公民館で講話をした。聞いていた人は、殆どが高齢者。褒めてくれる反面、家庭はだいじょうぶ?奥さんお子さんだいじょうぶ?と心配された、というエピソードも。笑うしか無かったですよ、と大星さん。奉仕活動への理解について、世代間での温度差を肌身で感じた瞬間だったと話す。

さらに大星さんは、地域の防災拠点の責任者に加え、市の災害ボランティアコーディネーターも兼務している。地域防災拠点の運営委員を務めているということは、一拠点を任されていることを意味する。有事の時には、自ら現場に出向くことはかなわない。だとしたら、別の仕組みが必要なはずだ。研修やミーティングに参加しているうちに、とあることに気づき始めた大星さん。「現地に行って学んでいる同士が話しているはずなのに、机上の空論が多いんです」。これでは、災害が起きた時に、同じミスが繰り返されるばかり。改善点をこれからも提案し、有事の際に最善の対応ができる体制にしなければ、という大星さんの覚悟が見えた。

なんだか行きたくなる場所、女川。家族を連れて、訪れたい。

地域の活動に加え、マラソンやボランティアなど週末ごとにアクティブに活動する大星さん。まずは家庭が第一、と話す。年間イベントは家族で共有しているカレンダーに書き込んで、事前に告知しておく。女川で開催される復幸祭や秋刀魚収穫祭は、もちろん予定に入っている。

二人のお嬢様のお父さんでもある大星さんは、本当はもう少し早く女川へ連れて行きたかったそうだ。「家族を連れて行くなら女川。特に子どもたちに、自分の目で確かめさせることをしたい」。震災から5年間で進んだ部分もあれば、進んでいない部分もある。女川以外の他の被災地、鉄道や公共の交通機関が無い場所は、復興の進み具合が異なっている。「被災地」とひとくくりにされがちな地域を体験させたいという気持ちが強い。次世代へ想いと学びを繋いでいかなければ。普段はあまり見せない父親の顔がちらりと覗いた。

ボランティアとしての活動は、2015年の秋刀魚収穫祭が最後になった。これからは女川ファンの一人として関わっていきたい、と話す。震災後はもちろん色々な苦労もしていると思う、と切り出した大星さん。「身の丈にあったことをやっているように、女川を見ていて思います。今のまま進んでいって欲しいです。そしてこれからも、ずっと、よろしくお願いします。そんな気持ちです」そう締めくくり、清々しく笑った。

女川こぼればなし。 去年の夏のフラメンコイベント。最後に参加した仲間たちと鮮やかな黄色いドレスを着て、踊りまくった。そんな大星さんの姿を見て、もっと盛り上がる会場。今年の夏の弾けっぷりが、いまから楽しみだ。

2016.02.24 Text : YUKA ANNEN Photo : KEISUKE HIRAI,FOX PHOTO,SHINGO AOYAGI