利便性を拒否するからこそ、面白い。

ネイチャーガイド協会は趣味の延長ですから、と笑顔で話始めた青砥さん。
「都会だと身一つで外へ出れば、なんでもできちゃう環境が整っています。女川のような人口の減っている町で、趣味や遊びとなると、自分で探して見つけるしか無いんです」。目立った活動はしていない、と青砥さんが言うネイチャーガイド協会には大切な役割がある。女川は、600種を超える山野草の宝庫。この自然環境の貴重さを多くの人々と共有し、保全して行けるよう行政との連携や支援要請を主に担当し、条例の整備に取り組んでいる。

3月くらいになると、女川にも釣り好きな人がやってくるそうだ。フライフィッシングが好きな人は、周りの環境を楽しむ人が多いという。「釣りは大脳の日曜日と、開高健さんが言っていますね。女川では、ヤマメやイワナ、サクラマスなどが釣れるんですよ」と活き活きしている青砥さん。震災前は、川の近くに住んでいたそうだ。初夏にはサクラマス、そして秋になると鮭が昇ってくる。四季折々の自然の楽しみ方が、手を伸ばせばすぐに届く自然がとても身近なところにあるところが、女川の大きな魅力のひとつだ。

山歩きの地図を作るミッション。

青砥さんにとって、楽しみを兼ねたミッションといえば、山歩き用の地図の制作。現在は、女川の出島の地図を作っている。2016年中にはコバルトライン、出島、江ノ島などを含むエリアが「三陸復興国立公園」に認定される予定だ。

島へは、女川港から船が定期的に出ている。出島架橋が架かる前に、もっと島の自然のことを調べたい、と青砥さんは言う。橋が完成するのは7年後。女川港を出発して、朝8時に出島へ到着する便がある。数時間後または午後の便で帰るまでの時間に、ハイキングや海遊びを楽しめないかと青砥さんは考えている。磯釣りやシーカヤックもできる島は、観光資源になる。昔の生活路が残ってはいるが、手入れをしていないせいで、入れない状態だ。現在は、集落周りと集落相互を繋げる道だけが、残っている。現在出島の人口は100名ほどだと言う。

昔に比べると、山を利用する人間が減った、と話す青砥さん。お風呂や料理、暖を取るための燃料となる薪や落ち葉も、全て山から調達していた。「徐々に人が山に入らなくなり、出島の山も荒れてしまいました。野草も自生していたが、それも徐々に減っています」。現在の植生を調べたいと思い、島へ渡る度に地図を作りながら調査を続けている。去年の夏には出島でキャンピングをし、出島で暮らす地元の人達に野草の呼び名を聞き、それらを地図に反映させた。

青砥さんは、時間を見つけて出島へ渡り、季節ごとの植生を調べる予定にしている。季節の花々を写生し、美しい水彩画のポストカードにしている。描くことで特徴や名前を覚えることができるそうだ。「震災前までは、3000枚ほどで描き溜めました。残ったのは、クッキーの缶に入っていた400枚ほどですね。リタイアした年からは、一日一枚ノルマを決めて描いていました」と笑う。ポストカードは、現在町内の宿泊施設のロビーにも、飾ってある。

15年前に満60歳で退職した。季節ごとに描く野草が決まっているので、どの季節に、どこになにが咲くのか、分かるようになった。自宅の家の庭に山菜類を植えることで、山の中の季節の移り具合が分かるようにしていたそうだ。梅雨時と秋には、椎茸を収獲してきた。キノコといえば秋のイメージだが、年に二度も収獲できることを、青砥さんのお話で初めて知った。

去年は、頼まれて地元の水産加工会社のためにサンマの画を描いたそうだ。スマホで写した写真を見せてもらったが、実物が見たくなるほどのリアルさ。事業の繁栄を願い、右肩上がりのサンマ、というリクエストだったそうだ。通常魚を描くときは、左向きに描くことが多い。ソフトを使って反転、とかできないからさ、と笑う青砥さん。年賀状は、もちろん全て手書き。一枚、必ず送って欲しいとお願いをしてしまった。

ネイチャーガイドツアーに託す想い。

「リタイアした後に、海釣りをしたり、川釣りをしたり、春の山菜採り、秋のきのこ狩り、そんなふうに遊びたかったんです」。個人的に楽しんでいたことを、ネイチャーガイドツアーを通して、もっと多くの人たちに楽しんでもらいたいと考えるようになった。山の中を歩いていると、行きの道と帰りの道とで目線が変わる。先程は気づかなかったことに、帰りには気づくことができる。一つのものを見て、瞬間的に共感できる幸せがある。体験を共有する仲間を増やしたい。自分だけで楽しんだり囲い込んだりするよりも、遊びの延長で同じ喜びを共有してもらう機会を増やしたい。それが、青砥さんの想いだ。

「自然の保護という言葉が嫌いなんです。護る、というのは人間のおごりから来る言葉です。私たちがすべきは保全、だと思います」と青砥さんは言う。「人が入る前の状態に戻してやることが、私にとっての理想です」。切り株だけだった所が、十年もすると立派な雑木林に育つのを見てきたからこそ、言える言葉だ。

5月連休後には、毎年山菜散策ツアーを実行。わらび、コゴミ、もみじがさ、タラの芽、コシアブラ、はりぎり、あいこう、うるい。青砥さんがすらすらと挙げる名前の中には、聞いたことのないものもある。天ぷらやお味噌汁にするなどして、いただくそうだ。おにぎりだけを調達して、山へ入る。山の息吹を感じながら、かなり厳しい山道をハイキングするそうだ。こちらも毎年人気のツアーとなっている。

ドングリは、本当に生やしたい所に埋めるのが一番なんです、と青砥さん。苗をつくっても、1.5m以上にならないとシカにやられてしまう。3年前に植えた苗木も、殆ど育ってないのだそうだ。自然に生えたドングリは、あっという間に育った。一番最初に出た直根という根が、その木の基本になる。買ってきた苗は、直根を扱いやすように切ってしまうため、風に弱く育ちも悪くなるのだそうだ。

ゆくゆくは、親子でドングリを拾ってもらい、植えていきたいと考えている。「ドングリを2リットル分くらい拾ってあるので、次のネイチャーガイドツアーで参加者に10粒ずつくらい渡し、好きな所に埋めてもらうんです。その代わり、周りの景色を覚えていておいてね、と伝えますが」と笑う。歩きながら、一つずつ思い思いの場所に埋めていく。子どもたちは、夢中になるに違いない。次の年からは、ドングリを拾うところからやってみても楽しいだろう。シカに食べられてしまうドングリもあれば、生き残るドングリもある。身近な森の中で起きているサバイバルと成長を見守る学習体験は、机に向かって行う学びとは一味違った影響を子どもたちに及ぼすに違いない。

女川の自然のこれから。

新しくできる清水公園で、公園に木を植えていくというアイディアも考えている。マイツリーとして、苗木を購入し、植林し、責任を持って育ててもらう。「都会でオーナーを募集して、植林を女川の子どもたちが代行するということもできますね」。新しく生まれる緑が、女川と日本各地を繋げていく。

夏休みには、親子向けのキャンピングの体験教室を開催している。町内の子どもたちを中心に、多くの親子が参加する人気プログラムだ。「テントに寝泊まりし、鹿肉やホタテをたき火で調理します。南部鉄器の鍋で炊いたお米は格別ですよ」と青砥さん。毎年大好評のプログラムは、今年の夏ももちろん開催予定。そろそろ募集も始まるようだ。女川の森に、子どもたちの賑やかな笑い声が木霊する。そのシーンを想像して、こちらが笑顔になった。

女川こぼればなし

青砥さんの目下の悩みは、なかなか若い人の後継者が現れないことだ。女川の森は、自然の宝庫だ。そして、青砥さんの頭の中は、ネイチャーの知識の宝庫。ちょっと足を踏み入れるだけで、日常からスリップすることができる。我こそはという方、ぜひ弟子入りしてみては。