愛する海を元通りに。自由人からの卒業。

結婚するまでは自由人だったんですよ、でも最近やっと自覚がでてきました、と爽やかに笑う。海が似合うオトコ、を体現したような宮城ダイビングサービスHigh Bridge(ハイ・ブリッジ)代表の高橋正祥さん。先日、二人目のお子さんが生まれたばかり。さらなる充実感と使命感を持って、経営者そして父親、さらにはダイビングコミュニティのリーダーとして、日々奮闘中だ。

仙台で生まれた高橋さんのお父様のご実家は、石巻。震災後四日目には、石巻の親戚に物資の運搬を始めた。先輩が立ち上げた石巻と岩手の行方不明捜索チームにそれぞれ参加。その後は、地元漁師さんたちからの依頼で、ダイバー仲間たちと石巻・女川地域の水中のがれき撤去を始めた。

いまこそ、恩返しのとき。

子どもの頃に遊んでいたのは、女川や石巻、仙台の海水浴場だった。一回目に潜った時の光景が、高橋さんの心を揺り動かした。「いままで遊んでいた海が、こんなことになってしまった。なんとかしなければいけない、と思いました。遊びを仕事にしている身として、この状況を変えなければ、と」。周囲の反対を押し切って、当時住んでいた神奈川県・葉山町から石巻に移り住む決断をした。

勤めていた葉山のダイビングショップには、今でも年に2−3回は帰っている。「素晴らしい仲間もいましたし、もちろん楽しい日々でした。でも震災後の地元の海の状況を見てからは、楽しいだけの人生よりも海をきれいにしたい、地元に恩返しがしたいと思うようになりました。自分のルーツである海を復活させたい、と」。自分たちが、被災をした地域の人びとが海に戻るキッカケとなりたいと話す。戻ってきたくなるような綺麗な海にしたいと感じている。2012年から月一で続けている「石巻・海さくら」 の活動もその一環だ。プロダイバーは水中のがれき撤去をし、集まったボランティアたちは、ビーチクリーンをする。一度に集まるボランティアは30名、多い時は50名ほどにもなるという。活動を継続していくうちに仲間も徐々に増えた。今では必ず参加をするコアメンバーもいる。今度はいつ開催するんですか、という声もかかるようになってきた。いままで継続してきた成果と効果が、その言葉に現れている。「継続が一番大事。でも仲間がいるからこそできるんです。僕一人では、できません」と高橋さん。

しかしながら、海に遊びに来る人が増えた反面、ゴミも増えたという現実もある。ペットボトルなどのゴミを、海にポイ捨てしてしまう漁師さんたちもいる。
活動には浜の漁師さんたちも交じり、他の浜の清掃をする。震災前は考えられなかった光景だそうだ。こんな新しい動きや繋がり、意識改革こそ大切にしたい、と高橋さんは感じている。

High Bridgeオープンの軌跡。

2012年6月に石巻・渡波で一軒家を借り、自宅兼ダイビングショップをオープンした高橋さん。人びとと東北の海を結ぶ架け橋になれるよう願いを込めて「High-Bridge」(ハイブリッジ)と命名。しばらくして、2015年12月に女川に新しい商店街がオープンするというニュースが聞こえてきた。そんなとき、地元石巻の新聞社を経営する身でありながら、女川でみらい創造株式会社を経営する近江さんから、女川へ来ないか、とラブコールを受けた。長年、女川にダイビングショップをオープンさせたい、という夢が近江さんにはあったのだ。「スタッフを抱えている立場で、金銭面で不安はありました。実は、最初は断ったんです。でも最後は近江さんのバイタリティと熱い想いに背中を押され、決めました」と、高橋さん。子育てをしている石巻の一軒家でショップをやり続けることにも限界を感じていた時に訪れた絶好とも言えるタイミングだった。

女川初のダイビングショップとなったHigh Bridge。震災前はビーチにポイントはあったものの、ボートダイビングはできなかった。ダイビングショップなど無かった女川でダイビングサービスを始めるのは無理だと、周りからたしなめられたそうだ。「よく考えたら無謀だったかもしれないですね。2012年に石巻でショップを立ち上げた時も、わからないことが多かった。でも、逆にここでできれば、どこでもできるかな、と」。先輩方や地域の方達に助けられてここまで来ました、と笑顔を見せる。

女川にダイビングショップを開く決断をしたもう一つの理由は、ダイビングポイントだ。女川・竹浦までは車で10分、牡鹿半島・狐崎までは20分という好ロケーション。漁師さんたちや地域の方々とじっくりコミュニケーションを取りながら、少しずつ女川でのダイビングの可能性を拡げていっている。

プロを育てるミッション。

仲間、そしてプロダイバーを増やすことが、震災後の高橋さんのミッションとなった。もっと宮城出身のプロダイバーを育てていかないといけない、と高橋さんの表情がキュッと引き締まる。現在がれき撤去や捜索に参加しているのは、ほとんどが関東圏や沖縄など県外から来たボランティアダイバーたち。活動を始めた当初は、宮城県出身のダイバーは高橋さんだけだったそうだ。High Bridgeでのトレーニングを経て、4名の宮城出身のプロダイバーたちが、高橋さんの元で誕生した。「ダイバーたちと共に地元に根づいて活動することが、なによりも大切だと思っているんです。彼らが一人前になってきて、うれしいです。プロになってから二年は経たないと一人前とは言えないんですが」。プロの世界は、やはり厳しい。でも任せられる仲間ができたことは嬉しく有り難いです、本人には絶対に言わないですけどね、と笑いながら付け加えた。一日潜れば、疲れもする。がむしゃらに動き続けた20代を経て、30代になった今では培った技術で補うようになった、と話す。同じように日々成長していく後輩ダイバーについて話す高橋さんの表情は、誇らしげだ。

High Bridgeにライセンス取得に訪れるのは、ほとんどが宮城県内からだ。それ以外には関東圏が2割、そしてその他の地域と続く。ネット経由でホームページを見つけるか、紹介を通じて女川へやってくるそうだ。ライセンスを取得するためには、三日間のプログラムに参加する必要がある。三日連続で時間が取れなくとも、プログラムをカスタマイズしてくれるという。ライセンス取得後もダイバーが一人で潜るのは危険なため、スタッフと潜って経験を積んでいく。

ハイブリッジのミッション。

15歳くらいから基本は変わってないと思います、と笑う高橋さん。「震災前は、ボランティアというものをしたことがなかったんですね。それどころか、偽善者がすることだ、くらいに思っていました。でも震災が起きた時、やらなければならないという気持ちが沸き起こりました」。人のために何かをするという意識の無かった高橋さんが、自ら動いたキッカケが震災だった。

ダイビング以外にも、サーフィンやウェイクボードなどのマリンスポーツを愛する高橋さんだが、最近はダイビングに集中。空いた時間は、お子さんやご家族との時間に充てている。ダイビングは10歳からという決まりがあるが、小学校に上がったら徐々に教えていきたいと話す。息子さんは現在2歳。近場の海で波に打たれて泣いたり、去年沖縄の海で沖に連れだした時も、お父さんにしがみついて泣いていたりしたそうだ。「ダイビングを好きになってもらいたいという気持ちもありますが、それよりも海で溺れないスキルを身につけさせたい。本人にも、友だちにも」。余りにも水難事故で命を落とす方が多すぎます、と高橋さんの顔が曇る。海に慣れ親しむことで、安全な遊び方を知り、危険を回避できる子どもたちを地域で育てること。高橋さんが大切に思っているミッションの一つでもある。

震災後2年目の2013年からは、毎年シュノーケリング教室の一日サマーキャンプを開催している。海さくら主催のこの教室には、石巻と内陸の学校から小学生たち30名ほどが集まる。依頼元は、地域の小学校だ。このサマーキャンプを始めたキッカケは、自分の子どもに海の楽しさを教えてやってほしい、という漁師さんの言葉だった。震災後に海に近づくことが無くなってしまった人も多い。漁師さんをはじめとする漁業に携わる人びとの多い町で、親も学校も、戸惑っていた時期もあったという。「大人たちがどう思うんだろうということを心配するよりも、純粋に子どもたちが喜ぶことをしていきたい。」と高橋さん。シュノーケリング超さいこうー!と、泣いて喜んだ子どもたちもいたそうだ。将来漁師になるかもしれない子どもたちに、海の楽しさ、そして時には厳しさを教える活動を批判する声は、未だ一つもあがっていない。やっと自分たちの子どもを堂々と海に連れていける、そんな漁師さんの言葉が、高橋さんの胸に響き続けている。

子どもの頃から慣れ親しみ遊んでいた海水浴場が、閉鎖されてしまった寂しさが、高橋さんの原動力だ。遊べる海を、なんとか復活させたい。「子どもたち、そして次世代に何を残すのか。それは、綺麗な海を残すことだと思うんです。目の前にあるゴミを見て見ぬ振りをせず、自分たちがなんとかする。いま生きている者として、海をきれいにしていくことが大事かと」。そんな高橋さんに賛同する仲間が少しずつ増え、周囲の理解や活動の範囲も深まってきている。

謎に包まれた海の生態の解明。

店内の壁には、大きな写真のパネルが展示してある。様々な形やサイズのカラフルな海洋生物たちだ。すべて高橋さんが撮影したものだと言う。水中での撮影は難しい。水のうねりや揺れのある水中では、初心者の90%が、ピントを合わせることすらできない。それができるようになると、ライティングを学ぶ。光が遮られる海中で綺麗な写真を撮るには、光の存在は必須。ストロボやライトを当ててこそ、カラフルな写真に仕上がるそうだ。ダイビングから入って海に潜ることに慣れてくると、今度は写真を撮りたくなる。そんな流れが多いようだ。一眼レフのカメラ、水中撮影用のケースやハウジングを含めるとかなりな金額になるが、撮影目的で潜りたいと女川を訪れるダイバーは後を絶たない。

いま高橋さんが目を向けているのが、海の中の生態だ。北海道からの冷たい水を運んでくる親潮と南からの温かい水を運んでくる黒潮がぶつかる場所、それが宮城県沖だ。一つの国の中で、流氷とサンゴ礁の両方を見ることができる国は、世界でも日本しか無い。世界三大漁場と呼ばれる海の生態は、実はまだまだ知られていな部分も多い。「サンマの群れを見てみたいんです。サンマで有名で、みんな食べているのに、実は生態がわかっていない。群れの写真を撮った人が一人もいないんです。それを聞くと、撮ってみたくなる」。高橋さんの目がキラリと輝く。こんなに食べているのに、殆どわかっていない。もっと勉強して調査すれば、なにかすごいものが見つかるのではないか。そう感じている。

みんながワクワクすることをどんどんやっていきたい。高橋さんと漁師さんとの良好な関係が生んだ定置網ダイビングはその一つだ。さらに今夏には、親潮と黒潮がぶつかるスポットに潜ることに。蛇行する黒潮は近い時は沿岸から10km、離れているときは30kmにもなるのだそう。僕も、誰も観たことのない世界がそこにはある、と目を輝かせる。一体どんな未知の世界が広がっているのだろう。その目で見てきた話を、聞かなければ。高橋さんとの再会が、一段と待ち遠しくなった。

女川こぼればなし

まだまだ生態のわかっていない生物が、海にはたくさんいる。和名がついていないものも多いそうだ。高橋さんが発見した新種にオリジナルの名前が付く日も、そんなに遠くないかもしれない。ONAGAWAを世界にアピールする魚の誕生が待ち遠しい。