宮城県・仙台市出身の原綾子さん。AH’S INTERNATIONAL を立ち上げ、美しくなりたい女性を対象にしたトータルビューティーデザイナーとして活躍している。さらには、俳優の中村雅俊さんや脚本家の宮藤官九郎さんらも務める「みやぎ絆大使」の一人だ。2013年に任命され、今年から二期目。二年に一度の活動の報告の場で、女川町のファッションショーについて発表している。

震災後の2011年7月に東京で開催したキッズ・チャリティー・ファッションショーがキッカケとなり、女川と繋がることとなる。宮城県の物産を会場で売り、その売上を義援金として送る活動をしていた原さん。仙台に帰省した際に、知人の紹介で女川町のグラフィティアーティストD-BONSと出会い、ぜひ女川で開催しようとその場で意気投合。原さんは、ファッションショーの会場を東京から女川に移すことを決めた。

 

女川を舞台とした第一回目の開催は2013年。「東京のファッションショーに出演していたキッズたちを、女川へ連れていきました。地元の子どもたちとコラボレーションしてもらいました」と嬉しそうに笑う原さん。「その頃の子どもたちは大きくなって、すっかり成長しています。子どもの成長って早いですね」と優しく微笑んだ。

開催に至るまで、何度も女川に足を運んだ原さん。様々な方に挨拶をして回っている中、一人の男性に声をかけられた。「津波に流されて、泳いで屋根に載って助かり、九死に一生を得た。本当ならこの場所にいないかもしれない。震災以降、今でも暗い表情をしている自分たちの娘たちが、ステージに立っている時間だけは明るい表情になる。だから、ありがとう、と言われたんです」。この言葉が、今も尚、原さんの背中を押し続けている。

 

2013年の初回から毎年参加している女の子もいる。最初はしっかりと話せなかったような子が、先生聞いて〜将来モデルになるの!と報告してくれるそうだ。そんな彼女たちの成長ぶりが感慨深いと話す。原さんが準備した衣装を、子どもたち自身が選ぶ。リハーサルのフィッティング中に着たい衣装がかぶることもあるそうだ。その時に、女の子たちがどう問題を解決するかも、成長の一旦。メイクも、スタッフが施す。自分はモデルだ、と実感できる一日の始まりだ。

一度ステージに立つと、女の子たちは激変する。仲間意識は消え、ライバル同志になる。ひとりひとりが、私が一番かわいい、を主張するモデルになる。リハーサルでモジモジしている子たちも、本番では思い思いのポーズをビシッと決めてくる。女川は大人も子どもも本番力が高いんです、と原さんは誇らしげに笑った。

project street runway – ONAGAWA FASHION SHOW始動。

2013年から2015年までは、地元の音楽イベント「我歴stock」のステージに「チャリティー・ファッションショー」として参加。今年からは独立し、project street runway – ONAGAWA FASHION SHOWとして開催することを決めた。以前の30分枠では、多くても20名ほどしか参加できなかったが、今年は40名の4歳から19歳までの女の子たちがモデルとして参加する。今年は、募集枠が早々に埋まってしまったほど、注目度抜群。既に、来年は出場したいという声も多数。来年の開催からは、オーディションも検討中だそうだ。

昨年までは、キッズ・チャリティー・ファッションショーという呼び名で開催。5年目を迎えた今年、チャリティという言葉を外したのには明確な理由がある。「町としての飛躍や成長を表したいと思いました。2016年は、女川のみなさんと作り上げていく大きなファッションショーの第一歩です。今年は、定員オーバーの数のモデル希望者が集まった。いいスタートダッシュです。」とにっこり。

今年のファッションショーが始まる前から、既に来年のショーのことを頭に入れている原さん。今年は協賛金を募っての開催となっているが、クラウドファンディングのような新しい時代の仕組みのことについても、運営に参加する子どもたちに教えたいと考えている。出資してくれた協力者に、どんな魅力的なリターンを作るか、どんなコトや体験を届けていくかなど、思案中だ。会議を定期的に開催し、原さんや他のメンバーが女川へ行けない時はネット会議で繋ぐ。そんな感覚をも、子どもたちの中に養いたいと感じている。

 

「今後は、イベントの運営に子どもたちも入れたいと思います。ランウェイやステージのあり方、ゲスト出演者の選出の仕方などを議論し、自身もモデルでありながら、自らの手で作っていく体験をしてほしいんです。」原さんは、すべてお膳立てされた場に参加するだけのイベントにしたいわけではない。自分たちでじっくり考えれば、作ることができるのだという気づきを得る成功体験の場にしたいそうだ。

最年少のモデルは4歳、一番上は19歳。中学生の参加者は少ないそうだ。思春期まっさかり。恥ずかしい、を乗り越えて、ここに参加したいと思えるようなイベントにしていきたいとの想いが、原さんにはある。小学校の頃からモデルとして参加した女の子が様々な経験をし、中学生になったときに今度は主体的に運営サイドを担うという流れを思い描いている。

「将来どんな仕事に就いたとしても、活きてくる能力を培いたい。振り返ると、女川のファッションショーで学んだことが、いまの自分を作っている。そんな将来が待っていたら素敵だな、と」。プロ意識の高い原さんが女の子たちを率いることで、彼女たち一人一人が誇りに思う体験となるのだ。

絵空事ではない、自分事の夢。

 

憧れる、という感覚もわからないような年齢にプロと出会うこと。世界を舞台に活躍する原綾子という夢を叶えた存在が目の前に実在することで、夢を抱くことが絵空事ではなくなる。運命的とも言える、女川という町の繋がりが可能にした貴重な体験だ。

「自分次第で叶えられることを伝えたい。一人の人間として向き合い、感情や感動を分かち合うことで、誰でも覚悟を決めた道を真剣に進めば、夢は叶う。他人事ではなく自分事で、人生を歩んでいける人になって欲しいと思います」。

ミス・ユニバース・ジャパンになるための三ヶ年計画を立て、2010年に仙台から上京した原さん。栄光を獲得するまでの道のりを、あまりにもさらっと語る姿にハッとした。彼女にとって、ミス・ユニバース・ジャパンの勲章はゴールではなく、単なるスタートに過ぎなかったのだ。

以前の原さんは、人前に立つことなんて考えられなかったという。自分に自信が持てず、そんな自分が嫌いだった。そんな時、たまたまテレビで見ていたミス・ユニバースのドキュメンタリー番組に、衝撃を受ける。美、という無形のものに真剣に向き合う女性たちを見た時に、原さんの中で何かのスイッチが入った。全身を鏡で眺めた後に沸き起こったやっぱりムリかもという気持ちを跳ね除け、三年間ほぼ独学でミス・ユニバースを徹底的に研究した。一位に輝いた女性たちのメイク、歩き方、ファッションを自分で実践した。

ヒールも履いたことがない状態から一年。東京で行われたミス・ユニバース・ジャパンの壮行会に、仙台から一人参加。メイク、衣装、靴、歩き方、すべて自分が思う今のベストの状態で挑んだ。パーティ会場で受けたのは、数々の賞賛の言葉。「誰を誘うわけでもなく、一人で調べて参加しました。一年間やってきたことが、実を結んだ気がしました」。いけるかもしれない、と実感した瞬間だった。

2010年10月の壮行会から、二ヶ月後には上京。次のステージへと原さんは進み始める。モデル事務所を片っ端からあたった。ミス・ユニバース・ジャパンになるために、撮られる機会を多く持ちたいとアピール。一つの事務所が受け入れてくれた。ファッションショーや、カタログの撮影を経験。何千枚分の撮影の後、撮られる感覚が身についていった。ミス・ユニバース・ジャパンの獲得は、自分の中での一発勝負と決めていた。三年間、すべてを賭ける。目指すは、2012年世界大会ウィナー。

順調に次のステップへと進んでいた2011年の3月、故郷を大地震と津波が襲った。上京して、3ヶ月後のことだった。「自分の想いだけを追いかけていていいのかという葛藤もありました。それと同時に、自分がミス・ユニバース・ジャパンになるための意義がはっきりしました。だからわたしが、という想いが強まったのです」。東京から、故郷宮城県を発信する。大会本番までの間に、キッズ・チャリティー・ファッションショーを開催し、義援金を送る活動をした。そして、見事2012年、ミス・ユニバース・ジャパンの座を勝ち取った。すべてを懸けた一発勝負に、勝ったのだ。

ファッションショーが巻き起こす女川旋風。

 

ファッションショーの企画を町に持ち込んだ段階から、まずは応援しよう、と大歓迎してくれた女川町はすばらしい、と話す。「まずやる前提で考えてくれる。そこが魅力だったり、パワーだったりすると思います。このショーが新たな力となり、女川旋風が巻き起こってくれれば」。このイベントに大きな可能性を感じます、と原さんはキリリと括った。

女川の人は、女川が大好きで、誇りを持っている。子どもたち一人ひとりの発信力が高まり、女川出身であることをどんどんアピールしていく。ONAGAWA FASHION SHOWの体験を通じ、そんな意識を芽生えさせることができればいいと感じている。

「駅から海へと繋がるランウェイ。これは、今、若い女の子に人気のファッションショーでも実現できないこと。女川ならでは、そんなファッションショーを発信していきたい」と原さん。洗練されたセンスが光る新しい町。豊かな海も山もある町。できないことなんて無いという空気が充満している。それが、今の女川の姿だ。

どちらかというと今まで男性的な力強いイメージが強かった女川に、原さんの登場により吹いてきたキラキラとした風。女の子の時から美の感覚を高めていった時、どんな女性に成長するだろう。女性の力を高めていったら、どんな女川になるだろう。町の名前の如く、女川が、美人の町になる。そんなワクワク感があるんです、と原さんは目を輝かせる。

駅から海へと繋がるランウェイを経験した女の子が、将来ミス・ユニバース・ジャパンに。女川出身のモデルが、世界を舞台に大活躍する。ONAGAWAの名前が、世界へ羽ばたいていく。そんなストーリーも、全くの絵空事ではない気がしてきた。

 

project street runway
ONAGAWA FASHION SHOW 2016

イベント詳細

場所:女川駅前シーパルピア女川 レンガみち特設ステージ

日時:2016年6月26日(日) 14:00-17:00

出演:
キッズ部門ドレスアップファッションステージ(一般募集の4歳~小学3年生の女子)
ティーンズ部門カジュアルファッションステージ(一般募集の小学4年生~19歳の女子)
プロモデル部門ファッションステージ(2012ミス・ユニバース・ジャパン原綾子およびプロモデル)

女川潮騒太鼓 轟会 / DJ YOSHITALOW / DJ DOPE-C / TxKxY / HOLLY / B-HIVE CREW / ちびヒロ

同日開催:〇1〇1のリユースマーケット(9:30-14:00)、レンガみち おもてなし市(10:00-16:30)、キッズ大好き縁日ブース(14:00-17:00)

公式ホームページ